高校野球。
多くの球児にとって
夢の舞台なんじゃないかな。。。
高校生までって
純粋に熱くなれる。
それ以降って
精神的にも大人になるんか
高校生までのようにただがむしゃらに・・・
っていうのは薄れる気がするんよね。
そんなことを思うと
高校野球ってものすごく熱くなれる。
じゃけぇこその
最高の夢舞台なんじゃないかな。
今年も全国各地で
熱い戦いが繰り広げられとります。
そんな夢舞台のひとつ、滋賀県大会でのお話。
彦根総合の左翼手、塩冶 (えんや) 亮太郎選手 (3年)は
先天性の重度の難聴だ。
三回表2死満塁の場面。
安打で出塁し二塁上にいた塩冶選手に、
ベンチの中村昴暉(こうき)主将から手を回す仕草で指示が伝えられた。
『打ったらホームインしろ。』
その直後、
西村明孝選手の安打で一気に本塁へ。
捕手のタッチをかわして生還した。
満面の笑みでベンチに戻ると『おお』と叫んだ。
朝日新聞より抜粋
小学4年生の頃に野球を始めたそうです。
中学に入ると
同級生らとの意思の疎通で苦労したそうです。
人工内耳を見られるのが恥ずかしくて丸刈りを拒み、
髪の毛で隠したこともあったと。
中学3年生の時、
気持ちを切り替えて丸刈りを受け入れた。
高校では同級生が大声で話しかけてくれたり、
身ぶりを交えたりしてコミュニケーションを取ってくれた。
そんなことが記事には書いてありました。
この日の試合では、
ベンチに戻ると一塁手の西村選手が
相手投手の球種などを身ぶり手ぶりで説明してくれ、
左翼の守備についた時は、
遊撃手の羽田利樹選手の腕の動きで守備位置を変えたとも。
とかく
障がいがあると諦めることも多いと思います。
いや、障がいがのぅても
何かに理由を付けて自分では無理だって納得させて
諦める自分がいたりもします。
塩冶君も生まれつきの重度の難聴。
嫌なこともあったんじゃないでしょうか。
でも、
まずは自分自身が受け入れて変わり、
それを周りも受け入れて、
その両輪があって
彼は高校まで野球を続けれたんでしょう。
うちも障がいを持った子がいます。
ついつい
うちの子には無理かな・・・なんて思うことがある。
それで
ついつい手を出すことがある。
いまだに親が受け入れられてなかったりね・・・
でも、
小さな頃から友達でいてくれる周りの子は
何の疑いもなくありのままで受け入れてくれとる。
そんなけぇ
何のわだかまりもなく普通に接し合ってる。
素晴らしいな♪って、親である自分が思う。
たぶん、生きてりゃぁいろんな場面で
ついつい壁を作ってしまうことってある。
壁を取っ払って何のわだかまりもなく
ただありのままを受け入れる。
いきなりは難しいかもしれんけど、
なるべくそうできるといいな。。。
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